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去年の夏、メール便配達のバイトを始めた。 配達する際のルールに、「完全投函」というものがある。 要は、商材をはみ出さないよう完全にポストの奥まで入れなさい、ということだ。 ドアポストなどでよく見かけるのだが、公共料金の請求書なんかを蓋に挟んで床まで落ちないようにするのは不完全投函であり、私のバイト先ではNG行為なのである。 ポストのサイズや形状によって難しい場合も多いとは言え、極力完全に投函できるよう心がけるのが基本だ。 理由のメインはイタズラの防止だろう。 商材がポストから少しでもはみ出していると、ポストの使用者以外の人間でも簡単に中身を引っ張り出すことができるからだ。 実際、「盗難が相次いでいるため、郵便物は奥までしっかり投函してください」といった主旨の貼り紙を見たことも何度かある。 ほかにも、メール便に記載されている宛名が外から見えれば、それだけで個人情報を流出させているに等しいし、屋根のない場所にあるポストだと、雨が降れば商材が濡れる。 こういった諸々の理由から、完全投函することが重要視されているのだが、どうやらこんなクレームが来たこともあるらしい。 「商材が挟まっていた所為でできた隙間から、蜂が家の中に入り込んで大騒ぎになった」 確かに蜂は危険だ。 可能性は高くはないだろうが、あり得なくもないな…と、完全投函の重要性を噛み締めていた私に、「それ、本当は蜂じゃなかったみたいなんだよなあ」と教えてくれた先輩がいる。 岩城さんだ。勿論仮名である。 岩城さんは50歳前後のベテラン配達員で、もうずっと同じ会社に勤めていた。 そのクレームがあった時も、丁度電話の近くで聞いていたのだそうだ。 「蜂じゃなかったら何だったんですか?ムカデとか?」 「ムカデじゃない。わからん。何かだ、ナニカ」 結局それが何かは判明しなかったし、表向きには蜂だったということにされている。 ただ、クレームの電話をかけてきた相手は傍からでもわかる程狂乱していたらしい。 蜂に対する反応とは思えなかったと岩城さんは言った。 「いや、でもなー。めちゃくちゃ蜂が苦手な人だったのかも」 「そりゃそうかもしれんが、蜂が人間に集(たか)ったりするかあ?」 すっかり興奮状態の相手から、電話を受けた当時のボス(支部長のこと。バイトが顔を合わせる中では一番偉い)が聞き出せたことは、大体こんな感じらしい。 ・入ってきたナニカは赤黒いゼリー状の物体で、5センチくらいから20センチ近くまで伸び縮みする。 ・蜂やゴキブリなどの虫を捕らえて食べている?ようだ。 ・昼間は物陰に隠れているが、夜寝ているといつの間にか、耳や鼻の穴、口の周りに集まってくる。そのため、ナニカのいない閉めきった部屋に籠って、用心のため更に耳栓とマスクをしないと眠れない状況らしい。 ・不完全投函の度に入ってきて、もう6匹家にいる。 すぐに現状の確認とお詫びに伺うという話になり、ボスは慌ただしく出ていった。 上記の詳細は、受話器を下ろした直後のボスが謝罪訪問の準備をしつつ半信半疑で口にしたものだとのこと。 半信半疑というか…お客様の手前笑い飛ばせなかっただけで、半分信じることすら恐らく難しかったのではないかと思う。 その日、ボスが戻って来る前に岩城さんは仕事を終えて帰宅してしまったらしい。 次の日には「昨日のクレームはやっぱり蜂だったよ」ということになっていた。 ボスの様子を見るに、これはきっと隠すしかない事態だったんだなと察した岩城さん。 とは言え、上司が蜂だったと言うのならば蜂だったのである。 追及することなく過ごしている内に、ボスは仕事を辞めてしまったのだそうだ。 クレームの件から2ヶ月くらい後のことだった。
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