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こげ
終電を待つ間に
「クソ!間に合わなかったか…」

遠ざかっていく列車の後姿を見送り、ため息を吐く。
最終電車が来るまで40分か…
金曜の夜…
列車を下りた客たちは足早に連絡通路へ向う階段を上っていってしまった。
幾人かいたはずの駅員も、姿はすでにない。
春まだ遠く、北風が吹きすさぶ極寒のホームへ一人取り残された俺…
暖房の効いた待合所へ戻る気力もなく、
自動販売機で微糖の缶コーヒーを買ってベンチへ腰を下ろす。
連日の激務で精根尽き果てる寸前だ。
社運が懸かっているからと言っても働かせ過ぎだろう上司と会社…
今月も残業が100時間を軽く突破したぞ…
人を減らして給料減らして、責任とノルマだけは割り増しにしやがる。
今夜こそ、午前0時を迎える前には帰れると、思ったんだがな…

鉄道会社も不景気なのか、そろそろ看板だから…なのか、構内がやけに暗い。
蛍光灯がチリチリと音を立てて明滅を繰り返し…ホームの端から先は濃い闇で満たされている。
両掌の中にあるスチール缶は、外気に熱を奪われ、どんどん冷めていく。
明日は久しぶりに休日出勤もなく、自宅でのんびり昼まで寝てやろうと会社を出たのだがな…
駅前のビジネスホテルかカプセルホテルにでも泊まることにして、
酒飲んで、ラーメン食って、サウナ入って
朝までぐっすり眠って帰るプランもあった…

「その方が良かったかもな。」

温くなりかけているコーヒーを一気に飲み乾し、
月の無い空を仰いだ。

05/09 15:14
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▼[1]こげ
「お兄ちゃん?」

声をかけられるまで寝ていたのか、呆けていたか…
気が付けば目の前に女性が二人。
一人はユズキ、俺の妹で、その背へ隠れるようにして立つのは
彼女の高校時代からの友人で…黒髪ロングに眼鏡が似合う理知的な美人。
グレイッシュピンクのトレンチコートに身を包んだ…
厚着していても分かるぐらいでかい…アレ…あ…

「雪輪屋さん、久しぶり…」

特徴ある部位で彼女を記憶していたから、名前を思い出すのに時間がかかってしまった。
こんな遅い時刻に二人でどうしたんだと訊ねると…
会社帰りに待ち合わせをして友達数人と飲んでいたそうだ。

「サーちゃんは今夜、私のお部屋にお泊りするんだ♪
 一緒にお風呂に入って、一緒のお布団で寝るんだよ♪」

「高校の時から、本当に仲良いんだな。
 お前が今度、引越したアパートは●●沿線だっけな…隣のホームか」

「そうそう♪それでね、
 サーちゃんが反対側のホームから、眼鏡かけても0.7の中型免許ギリギリの視力で、
 視覚障害者誘導用ブロックから先へ行きたそうな雰囲気を醸した、
 お兄ちゃんそっくりな男性がベンチに座っているのを見つけて、
 本人だったら賠償金の支払い大変だからどうしようって、心配になって来てみたんだ」

「それはわざわざ申し訳なかったな。
 でも、大丈夫だ。
 お兄ちゃん、列車に飛び込まなくちゃならん程は追い込まれていないから」

「いや、お兄ちゃんは一度、とことんまで追い込まれてみることをお薦めするよ!
 それで四門を開いたり、スーパーサイヤ人になったり、1000−7の答えを言わせたり、
 そんな、新たなお兄ちゃんに生まれ変わるべきだと私は思うよ♪」

妹うぜぇ…残念な方向へ出来上がってるユズキと対照的に、
微塵の酔いも感じさせない白い肌の雪輪屋さんが、黒い瞳で心配そうに俺を見つめている。

「疲れているだけだから」

「過度の疲労は大変危険です。慢性疲労症候群等、精神疾患となる恐れがあります。
 精神面では集中力や思考力の低下、記憶力低下、活力低下、気力の易疲労性、
 意欲や意志の減弱、興味喪失、また身体面の症状としては困難感、弱々しさ、筋力低下、
 アレルギー発症、喚語に滑舌困難…呼吸困難を引き起こすこともあります。」

「雪輪屋さん、もしかして…すごく酔ってる?」

「いえ、私はたいして飲んでないので…それに、
 ええと…その、お兄さん…こんなことを言うと…変に思われて…しまう…のですが…
 このまま…ここにいると…かなり危ない…です。」

人見知りをする子で、俺の実家へ遊びに来てた頃もこんな感じだったが…
なんだ、ここにいると危ないって?

「駅のホームは…人が乗り降りする…場所…ですけど…
 亡者や異形が…出口を求めてやってくる場所…でもあるのです。
 そして、死の淵に立って彼岸を眺めている人間を見つけると…
 仲間に引き込もうとホームの上にまで、這い上がってきてしまうのです。」

死の淵?彼岸?亡者?異形?出口?這い上がる!?
雪輪屋さんの言っている意味が理解できない…理解できないのだが…
なんだか背中が寒気を覚えてゾクゾクしてきた。
鳥肌まで立ってきたじゃないか。

「ここ…結界になってます。
 たぶん、電車が出て行った後、客扱終了合図後から干渉が始まったのだと思います。
 駅員さん達も他の利用客も…入って来れないように…このホームが存在すること…
 人の関心から外されてしまっています。
 ユズキも最初、お兄さんどころか…ホームを見つけることが出来ませんでした。」

俺は周囲を見廻した。三人以外…ホームには誰もいない。
確かに、今夜はかなりおかしい。
次が終電だ…待合室で暖をとっていた客達だって、そろそろ階段を下りてきても良い時間だろう…
それが、全く誰もやって来る気配がない。
彼女の言う通り、誰からも…このホームが見えていないのだろうか…

「月の出ない夜…ホームの端から先は、一歩踏み出せば底知れぬ深い闇となっています。
 夜の海と同じ、港…桟橋の下…そこは生者以外が統べる見知らぬ世界…」

なんか…だんだん、饒舌になってないか雪輪屋さん。
ユズキは俺の手から缶コーヒーを奪って「トレースオン!」とか馬鹿なことを曰っている。

「で、なんでこのホームなんだ?」

「疲れ果ててるお兄ちゃんがいるからだよ♪」

「線路は鉄道車両が走行する軌道…
 それは永遠に交わらぬ、 鋼鉄のレール二本で作られています。
 五行思想にいう金気とは金属…青銅、鉄、鋼…
 古来より、魑魅魍魎や幽霊の類が嫌うものとされてきました。
 この鋼鉄製のレールがホームへ彼らを引き寄せる因となっているのです。
 鉄道事故で亡くなられた方…それも、二本のレールの間で命を落とされた方が残した…
 未練や遺恨、怨嗟、憎悪は金気に弾かれ…弾かれている内に練られ…凝り固まり… 猖獗して、
 生前の…断末魔の姿を象った悪霊と成り果てます。
 車の行き交う道路であれば思うまま…周囲に拡散することができるのですが、
 鋼で出来た二本のレールが邪魔をして外へ出ることを許してくれません。
 悪霊は自然、電車と同じ軌道に沿って彷徨する事となります。
 駅のホームはレールとの高低差によって…世界を分け、彼らの侵入を防ぐことができます。
 しかし、新月の晩…闇が満ちてホームとの高低差が埋まる…その時にのみ、
 人の住処側へ抜け出すことが出来るようになるのです。」

雪輪屋さん、済まない…俺にはあんたが言ってる話の意味がほとんどわからん。
このホームに異常が起きていることと…ここにこのままいてはいけないと言う事くらいしか…

「レールの外へ出たいと執念が残っているものは…まだ、良いのですが…
 鉄道で自殺される方のほとんどは凝り固まった怨みで出来上がった存在なので…」

感情が感じられない…どこかにあるカンペを読んでいるような…彼女の声…
なのに、整った白い相貌は…口の端が軽く吊り上がり…眼鏡の奥では目が細められる…
ゾッとするような笑みを象っていた。

「ひぃふぅみぃよぉ…」

05/09 15:14
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▼[2]こげ
悪寒が全身を駆け抜け、瘧のような震えが走る。
寒い!さっきより気温が低下していないか?
厚手のコートを冷気が突き抜けてくる…全身が今にも凍りつきそうなくらい寒い。

「鉄道事故…特に自殺された方…濃く…強く残ってしまうんです。
 まず、話なんて聞いてくれません。
 生きている人が羨ましくて、妬ましくて、憎たらしくて…
 普段はああして見上げるだけ…なのですが、今夜は…
 新月の晩だけは…生気の欠けた者をそちら側へ引きずり込める狩場へと変じるのです。」

彼女が促す方向…ホームの先へ視線を向ける。
な、何かと目が合った…合っちまった。
こんな不自然で…低い位置なのに…誰と目が合う!?
心臓を冷気が鷲掴みにした。

「見えましたか?
 心身共に疲れ果て、マイナス思考に支配されて気鬱となっているお兄さんの精神状態は今、
 彼等と容易に同調し、共感できる位置にまで来ています。
 お兄さんを彼等の側へ容易に引き込めると目星をつけたのでしょう。
 格好の獲物を絶対に逃がすまいと結界を張ってまで…
 虎視眈々と狙っています。」

それでか、畜生…見てる…しっかり、俺を見ていやがる…
熟しきったトマトみたいな…
普通の倍くらい真っ赤に腫れあがった…男とも女とも分からない不気味な顔が…
瞳孔の開ききった…焦点の合わない目で…だが、確実に俺を睨みつけている。

「すごいの来ちゃったね、お兄ちゃん♪」

嬉しそうに…この腐れ妹が!
あれが幽霊…悪霊とか、そういうものだというのか?

「お兄さんを求めて、お兄さんが欲しくて…彼等が集まってきました。」

俺はベンチから飛び上がるようにして立ち上がった。
彼女のセリフを訊いて悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。
赤く腫上がった顔の隣に別の顔がある。
その隣にも…またその隣に…幾重にもなって俺を見つめている。
ひしゃげ…潰され…割れ砕けた無惨なデスマスク達がみるみる数を増していく。

「私がいるから彼等は警戒してホームへ…こちら側へ上ってくることができません。
 しかし、数を増し…私に勝てる確信が持てた時、亡者達はここへ這い上がってきます。
 そうなる前に、お兄さんはユズキと逃げてください。」

言ってる側から手!手が出た!!
腕が…ホームの向こうからずるずると血の気のない青白い手が…
天に伸びるように…一本…二本…こちらを見ている顔と比べて腕の数がやけに…
熟れたトマトみたいな顔…口の端が吊りあがる…無惨な顔をした奴等もまた…
雪輪屋さんが浮かべる表情よりさらに深い…邪悪な笑み…

「今宵は悪質なモノ達が多いようですね。
 私はちょっとこの方達とお話があるので、ユズキ、お兄さんを連れて逃げてください。
 お兄さん、絶対に後を振り返ってはいけませんよ♪」

まるで、レイ・ハリーハウゼンのコマ撮り特撮映画のようなぎこちない動きで…
奴等は…ひとり、またひとりと…ホームの端に指を掛け…ゆっくりと時間をかけ…這い上がってくる。

「アファーマティブだよサーちゃん♪」

ユズキがガシッと俺の手首を握ってきた。
強い力で引っ張られ、慌てて俺は一歩踏み出し、ホームからの脱出行が始まる。

「この期に及んで迷っている暇なんてないんだからね、お兄ちゃん!」

しかし、どこへ…どこまで逃げれば良いんだ?このホームから…連絡通路まで行けば良いのか?
ユズキと手を繋ぎ走り出したのだが、手足の動きが鈍い…動作が緩慢で、
運動能力なら俺の方がかなり上である筈が、妹の走る速さにまるでついていけてない。
くそ、連絡通路へ続く階段…あんなに遠かったか?
今までいた場所は、階段を下りてすぐのベンチだった筈…遠近感がおかしい。
屋根を支える柱が俺を嘲笑うかの如く、ぐにゃりと歪んだ。
黒い塵のようなものが、無数に視界の中を舞っている。

05/09 15:15
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▼[3]こげ
「お兄ちゃんの脳はね〜現在、彼等の結界の中にあって、
 視覚野を中心に奴等の集合意識によって乗っ取られているから、
 階段や柱の位置とか距離感、平衡感覚、運動中枢…もしかすると体感する時間の経過速度とか、
 色々狂わされてると思うよ。」

ユズキも雪輪屋さんもなんでそんなにこの異常事態に詳しいんだ?
雪輪屋さん…俺達を先に逃がした雪輪屋さんはどうなってる、無事なのか?
彼女が言ったことを守り、振り返ることなく階段目指して俺とユズキは走る。
そこに耳を劈くような甲高い悲鳴…いや、あれは断末魔か?
声は一度ではなく、異変を察知して慌てて飛び立つ水鳥の群れみたいに…次々と…

「お兄ちゃん、階段!転ばないように三段飛ばしで駆け上って!!」

「無茶言うな!平衡感覚がおかしくなって歩くのもやっとなんだぞ!?
 ユズキ、後どうなってる!?あの声は何だ?雪輪屋さんは大丈夫なのか!?」

陶器が割れるような…硬質的なものが砕けたような音も聞こえる。
俺達を先に生かせた雪輪屋さんが奴等に何かされているのだろうか?
頭上にある蛍光灯が激しく明滅を繰り返す。

「こんな時に気にするとか…
 お兄ちゃんって…もしかしてサーちゃん好きなの?性的な意味合いで」

「性的とか関係ねーよ!」

「あは、あの子はあっち関係で神様が相手じゃなければ殆ど無敵だから大丈夫!」

「何者だよ彼女!?」

「元は神様の生贄になる為に育てられてきたチートな存在だったとか!?」

「な、なんだそれは!?」

「まぁ、それはいいから走る走る、お兄ちゃん!」

手摺を左手が掴む。やっと階段まで来たか。
コンクリート製の上り階段がぐにゃりと歪み…
まるでテレビ映像を視ているみたいな、視界に白いノイズが走り、ブレを生じ…歩きづらい。

「足場が…段差が…膝くらいまで高くなったり、平面に見えたり…
 これをホーム下から這い上がってきた奴等がやっているのか?」

泥酔していたとしても、これほど酷くなったことはない。
ユズキに引っ張られ、よたつきながら階段を上っていく。
例の音と声が…俺の背後からひっきりなしに聞こえてくる。
振り向きたい欲求を押さえ込み、最後の一段を上る。

「結界を抜けたよ」

妹の走る速度が緩む。もう、安心…なのか?
息を切らして足を止め、身体を折ろうとする俺をユズキは許さない。

「違うから、まだ安全圏じゃないから!」

妹は俺の手を離さず、引っ張って連絡通路をどんどん進んでいく。

「雪輪屋さんが来ないぞ?」

「サーちゃんは大丈夫だから、心配なら窓からさっきまでいたホーム見てみれば?」

友人を信頼しきっているのかユズキは確かめようともしない。
あんな異常現象に見舞われて…気にならないのか。
少し、薄情なんじゃないだろうか我が妹は…
ユズキに手を引かれながら窓辺へ寄り、ホームに追いついてこない雪輪屋さんの姿を探す。
いた!奴等に囲まれ…
腰まで届く艶やかな黒髪が宙を舞い…コートの裾が翻る。

「あ、あああ…」

清楚…可憐…海辺で波と戯れる少女の如く…楽しそうに…無邪気に…
ホームへ這い上がってきた異形達の頭を踏み潰してまわる雪輪屋さんの姿があった。
あの悲鳴…破砕音は…奴等の…

05/09 15:15
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▼[4]こげ
俺は結局、実家へは帰れず…
ユズキのアパートへ、雪輪屋さんと一緒に泊めてもらう事となった。
あんな異常体験して、飲まずに寝れるものかと
アパート近くのコンビニで酒と摘みを買い込んで、風呂上りの二人を誘い酒盛りとなった。
飲んでいるのは俺だけだがな。
パジャマ姿になった雪輪屋さんから酌をしてもらい、
スーパーニッカをストレートで煽って良い具合になってくると
聞きたくなってくる…知りたくなってくるものだな。
雪輪屋さんは人見知りに戻ってしまい…ユズキから話を聞くことになった。
二人共、駅で異形共の干渉に脅かされず平気でいられたのは、
女子高時代からああいった体験を何度もしていて、特に雪輪屋さんは昔から霊感が強く、
霊に対する対処法をいくつも心得ており、妹も長い付き合いの間にその薫陶を受けたそうだ。
巷で俗に言う『視える子』のレベルを遥かに超えている…
弱い幽霊であれば足で踏み潰して消し去ることも可能なんだとか…
雪輪屋さんは…ある程度まで数を減らさないと結界とやらが解けないから仕方なくと言ってたが…
隣のホームから始終を見ていた俺にはそうは見えなかった。
彼女が喜々として幽霊を踏み潰す地獄絵図が脳裏に甦る…が、甦ったのだがすぐに消えた。
いつの間にかボタンが二つも外れている?
雪輪屋さんのパジャマの前が大胆に開いて…
姓の通りに雪の様に白い肌が…深い胸の谷間が姿を現して…それ所じゃなくなったからだ。

「グラスが空いていますよ、お兄さん♪」

しまった…思わずガン見してた。慌てて視線を彼女の胸からグラスへ移す。
見透かしたように、にっこりと微笑む雪輪屋さん。
ボトルを持つ、たおやかな白い手が傾いて…琥珀色した液体をグラスへ中ほどまで注ぐ。
トクトクと心地よい音…
雪輪屋さんからグラスを受け取り、口へと運ぶ。
トロリとした、まろやかな口当たりと芳醇な香り…豊かなコク…
スーパーニッカこんなに旨かったか?
可愛いと妖艶を両立させるパジャマ姿の雪輪屋さんが酌をしてくれるからか格別に美味い。
これはWhyte and Mackayの22年に匹敵するぞ?
ユズキは寝るとか言って自分の寝室へ早々と消えたが、雪輪屋さんはそのまま残って
俺の酒の相手をしてくれていた。
怪異に遭遇したことで気が高ぶっていたのか…
ボトルの中身が残り1/3位まで減って、やっと眠気が訪れた。
時間は午前二時を過ぎ…視界がぐるぐると廻りだす。
脳がアルコール浸けになったかのような酩酊感…
瞼が急激に重くなり、酔いに任せて俺はそのまま、その場に倒れこみ…
深い眠りに落ちていった。

05/09 15:16
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▼[5]こげ
時間の経過は分からない。
喉の渇きを覚えて目を醒ますと…俺は雪輪屋さんに膝枕をしてもらっていた。
あの白い指で髪を梳かれている…後頭部には柔らかいが張りのある太腿の感触…
ボディソープか、彼女の体臭か…甘くミルクのような良い香りに包まれ…
眼前ではパジャマから零れ落ちそうなくらいに胸の双丘がはみ出していた。
ヤバい…理性が…抑制が利かな…い…たわわに実った禁断の果実へ手が伸びる…
そこへ囁くように紡ぎだされた彼女の蜜が滴るような甘い声…

「私は心霊スポットと呼ばれる
 各地で幽霊が出ると言われている場所を
 休日などを利用して訪ねて廻ることを趣味としています。
 ネットで知り合った天之津君から、
 心霊スポット探検を数人の仲間とやってるから一緒にどう?
 と誘われたのがきっかけです。
 それから現在まで探検に同行して
 数々の怪異と遭遇、恐怖に心臓を鷲掴みされ、
 すくみ上がって満足に身体が動かない状態で
 闇の中を半泣きになって逃げ回り
 這々の体で車に辿り着いたこと数度…
 遊園地などのアトラクションでは味わうことができない
 保障も保険も安全装置もまるでない
 全ては自己責任でギリギリのスリルを楽しむ
 心霊スポット探検…
 私は完全にはまってしまいました…………なぁんて♪
 そろそろ目を覚まさないと
 終電乗り遅れますよ、お兄さん♪」

「………………」
05/09 15:16
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▼[6]こげ
バチッと瞼を開いた。
ホームに電車が来ている。頭上のスピーカーから最終電車のアナウンスが流れる。
いつの間にかベンチで横になって寝ていたのか俺…
慌てて起き上がると…なんだ?
身体に掛けられていたのはグレイッシュピンクの…トレンチコート…
彼女の…雪輪屋さんが着ていた…ゆ、雪輪屋さん…雪輪屋!?
恐怖で全身の毛が逆立った。
誰だ、雪輪屋さんというのは?
名前も貌も記憶にある…あることは…あるのだが…
昔から知っていたつもりだったが…雪輪屋という…あの女の事を俺はまるで知らない…
いや、知っている…どういう事だ…記憶がおかしい。
彼女を知っている記憶と、全く知らないという記憶がふたつ…俺の中に存在している。
あの女は実家へ遊びに来たことなどない…来ていたのは…
妹の女子高以来の親友で、雪輪屋姓を持つ女などではない。
腰まで流れる艶やかな黒髪、白磁の様に白い肌…
眼鏡の似合う…おっとりとした相貌、小柄な割りに豊か過ぎる胸部…
少女趣味が過ぎるファッションセンスと…人見知りをする…地味すぎる笑み…性格…
俺の記憶にあるのは彼女ではない全くの別人だ。
雪輪屋という女が、その知人と同一人物であると情報が…
知らぬ間に俺の記憶が改竄されてしまったとでも言うのか。

あの女が着ていたコートを汚物でもあるかの如く投げ捨て
俺はドアを開けて客を待つ最終電車へ逃げる様に乗り込んだ。
車内には顔に疲労を貼り付けて座る客達…ホームには業務に勤しむ駅員…
いつもの光景…終電間際に見る日常…
発車メロディが鳴り、ドアが閉まる。
窓の向こうで俺が投げ捨てたトレンチコートがもぞもぞと動いている。
何か中にいるのか…膨らみ…
コートから這い出したのは一匹の黒猫だった。
ちょこんと座った猫…その天を向いてそそり立つ太く長い尾が…
いきなり縦に、ふたつに裂けた…
化け猫…猫叉…魔性…
今夜の俺は怪異に魅入られてしまったとでも言うのか。
ホームの下から這い出した異形達…
雪輪屋という非在の妖女…
そして、最後は猫の化生…
異常も異常…こんなおかしなことに…
喉仏が痙攣したように動き…頬が引き攣り…笑みを象る。
おかしさがこみ上げてくる。

「く、くくくくくくくく」

口を手で押さえ必死で誤魔化そうとするが…
近くにいた乗客達には気付かれてしまったようだ。
顔が、変質者や危ない者、気の毒な人間を見る怪訝な表情をしている。
駄目だ…それすら面白い。
波のように幾度も幾度も可笑しさが押し寄せてくる。
俺を乗せた最終電車は
ゆっくりとスピードを上げながら駅を離れて行く。
我慢しきれず…ついに身体を折り、床に倒れこみ
腹を抱え周囲の眼など憚らず笑い転げる。
客達が携帯を取り出して俺を撮影し始めた。
やめろ、撮るな面白すぎる… 何もしないでくれ…可笑しくて…笑いが止まらない。
子供の声がした。

「コイツ失格でちゅ」

「ウン、失格デシ」

「精神が弱すぎるでちゅ」

「コノ程度デ駄目ニナルトカ信ジラレナイデシ」

「それにあんな雑魚の百や二百を一蹴できないで逃げるなんて問題外でちゅ」

「ボクガ作ッタ仮想世界デ酔ッテイルトハ云エ、メイプルシャンガ化ケタママノダミーニ
 手ヲ出ソウトシタノハ0点デシ」

「本物のママに現実世界で同じ事したら殺すでちゅ」

「肉片ヒトツ残サズサツガイスルデシ」

「それにしてもなかなかいないでちゅね、ママの良人に相応しい人間の男」

「ママ、ナンデ結婚シタイノカナ?ボク達ガイルノニ」

「ボク達いるのに」

「デハ、彼ノ今夜ノ記憶ヲ消シテ帰ルトスルデシ」

「他の客たちの記憶も画像データも忘れちゃダメでちゅよ。」

「オケデシ、デハ、ママノトコロヘ帰ルデシ」

「帰るでちゅ」

「帰ルデシ」

「ママは今夜、ユズキしゃんのお家にお泊りでちゅ」

「デハ、ユズキシャンノオ家ニ転移スルデシ」







翌日の昼、妹の高校以来の親友が菓子折り持って俺を訪ねてきて、
昨夜奪った記憶を再び戻させましたからと訳の分からぬ事を言って
土下座で謝ってきたので驚いた。


(おしまい)
05/09 15:17
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