会員の体験談です。
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体験談
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あきあや
体験
●私ゎ小学校の5年生の時の生徒会長の立候補者の自己紹介でどもりました。担任ゎ私の姿を見て笑ってました。2つ下の弟にも恥かいたと怒られました。
●中学生の頃、友達と私のお母さんと一緒に話してたら、お母さんに『お前の話し方よりも友達の話し方のほうがわかる。』と言われました。
●国語の本の読み聞かせなどゎ、自分流に考えて『、』『。』まで息しないで続けて読んでした。結構成功しました。
●今でゎ誰かと話すときにゎ、最初の言葉に『えっと』『あれ』『あの』などをつけて話してます。少しゎ楽です。

☆1番嫌な事ゎ、どもりをもつ人の前でどもりの話しをして、本人の前で同情したりされること。

私の旦那ゎ私の話し方に合わせてくれて、理解してくれてます。
09/17 23:08
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匿名
初めての吃音
 私の吃音は、つい最近始まりました。勤めている会社で電話を取る時、以前は大丈夫だったのに、第一声の「はい、OOです」の社名が言えなくなってしまいました。声が出てこない、まるで言い方を忘れてしまったかのような感覚に陥ってしまったのです。
 以前から私は人前で話すのが苦手でした。人一倍緊張して、早口になったり、噛んだりすることは多々ありました。話すこと自体よりも、引っ込み思案、消極的な性格に問題があると常日頃感じていたので、話すこと云々には何も特に問題は感じでいませんでした。2年前に会社に勤め始めた頃も、電話に出るのは大の苦手でした。でも次第に慣れて、何とかこなせるようになってきました。この矢先に「吃音」が起こったのです。
 声が出てこないという感覚は今まで感じたことのないものでした。自分の身に起こっていることが全く理解できませんでした。家で何度も発声練習をしたりして一時は改善されたけど、一度言えない恐怖心がよぎると、また元に戻ってしまいました。こういった特異な悩みを相談できる人もいないし、もしかしたら明日は言えるかもという期待もあったりして、なかなか自分の悩みを自分でも理解できず、対処方法が見つからずに苦しみました。
 自分が吃音なのかも?と考えるようになったのは、インターネットでいろいろ調べて、言友会のホームページに辿り着いてからです。「電話が取れない」と悩んでいる人が意外と多いことを知ってとても驚きました。そして皆同じ様に、家で練習したり、誰にも相談できなかったりしているのだなあということを知って心底共感しました。
 初めて皆さんにお会いしたのは、豊橋の例会でした。自分の悩みを話したら、皆うなずいてくれて何だか嬉しかったです。いろいろアドバイスをもらえて良かった。初めての人とはいつも緊張するし、確かに当日はいつものように緊張したけど、ここでは自分の悩みが話せると思うと、何だか居心地が良くて、自分の居場所が見つかったとさえ感じました。
 私が苦しんでいたのは、吃音ではなくて、吃音で困っているのに誰にも言えずに、悩みも何もない平気な振りをして隠し続けていたことだったのかもしれません。今までは悩みがあっても、自分一人で何とかしようとして、誰にも助けを求めませんでした。でも吃音になったことで、自分を深く見つめる機会ができて、漸く他人に自分の苦しみや感情を素直に出せるようになった気がします。これからは吃音を隠さずに、自分に対して正直になりたいと思っています。

09/12 12:57
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匿名
弱い心よ、バイバイ
私は何時頃から吃音になったのか覚えていません。初めて話せなくて辛かったことは覚えています。保育園の年中さんの時のことです。みんなの前で住所と電話番号を言いましょうというのがありました。みんながスラスラ言える中、私だけ初めの言葉が出なくて  何も言えなかったのです。どうして言えないのだろうと辛くて悩んだのを覚えています。  小学生になって本屋さんで領収書をもらってくるようにと母に頼まれたことがありました。私はドキドキしながらレジのお姉さんにもらいに行きました。名前を聞かれも名前が言えず、お姉さんの顔を見ると、変な子を見るような気持ち悪いものを見るような顔をしていたのを覚えています。それから人と話すのが怖く、苦手になりました。そして、領収書という言葉であのお姉さんの顔が頭をよぎるようになりました。とても恐怖でなりません。
私が言友会に入ったのは、会社で「話すことも仕事だ」と言われたのがきっかけです。私の中で、話しやすい人の表情と話しにくい人の表情というのがあり、話しにくい人に 「休憩に行きましたか?」と聞くことが出来ずに、その人の前でうつ向いてしまいました。その日は何とか終わり、職場も替わり、言えなかったことは心の隅に行きました。何週間後、翌週のシフトを見たらあの職場で、その時のことを思い出してしまい怖くなって次の週をお休みしてしまいました。社会人に大切な『報連相』が出来ないなんてイケないと  思い、インターネットで吃音を検索しました。そして言友会に出会いました。初めは言友会の掲示板の書き込みを見ているだけでした。同じ吃音で悩んでいる人がたくさんいて、ホッとしました。書き込むのに勇気が要りましたが、すぐに受け入れてもらえ感動しました。質問にも親切に答えていただけて嬉しかったです。少し強引のような(笑)気もしましたが、例会に誘われて参加することにしました。初めての例会は緊張したけど、温かい場所でとても楽しかったです。みんな優しくて話しやすかったです。うめキングさんの司会もとても素敵な話でした。マイナスの中にプラスを見つけてみようと思いました。自己紹介で名前が言えなかったのが心残りです。次の例会では言いたいです。そして2次会、3次会。みんなで会話をする楽しさを知りました。ありがとうございました。
これからの私は、話すことに失敗しても凹まない様な強い心を持ちたいと思います。例会では積極的に話が出来たら良いなと思います。吃音を治すことばかりを考えずに、吃音を知ってもらうことが大切なのではないかと最近思ってきました。吃音のお陰で言友会を知り、素敵な人達に出会えて、とても幸せです。吃音は悪いことばかりではないですね。これからもたくさんの出会いや経験が楽しみです。これからも宜しくお願いします。
09/12 12:52
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ゆな
ご無沙汰しています。皆さんお元気ですか。私は、新しい仕事にも徐々に慣れ日々奮闘中です。吃りに対しての執着心も以前に比べてかなりなくなりました。考える時間も減りました。私にとって、ペテロさんはじめ言友会の仲間の(一度しかお会いしていませんが^^;)存在はとても大きくて支えられている事を実感しています。確信を持てます、もしあの時あの集いに参加していなければ今の私はいません。きっとやり場のない気持ち、自己嫌悪の毎日を過ごしていたかもしれません。一期一会の出会いに感謝しています。ありがとう。
心を込めて。それでは。
09/12 12:50
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匿名
体当たりで行こう!
高校2年の頃から自分には吃音があって、社会に出てやっていけるのかと不安になり、就職はできたのですが、やはり電話対応や構内放送は出来るだけしなくて済むよう委縮していました。入社5年目となり、業者対応も増えてきたことから、今のままではいけないと思い、ネットで検索したところ豊橋例会に出会い、11月21日の定例会に初めて参加した次第です。会場まで行った段階でどうしようかと悩みましたが、思い切って参加して良かったです。堅い雰囲気で行われるものと思いきや、気さくな会で、加えて私と同じ初参加の方が他に2名いましたので、とてもリラックスした時間を過ごすことができました。皆さん、やはり同じ様なことで悩んでおられるようで、痛く共感いたしました。
吃音の症状が出はじめたのは、小学6年生の頃だったと記憶しています。私には元々言葉の最後に「さぁ」、「さぁ」と何度も言ってしまう癖があったようなのですが(いつからか分かりませんが)、そのことを級友にからかわれるようになってから吃るようになったのではと思います。当時、一番辛かったのは国語の朗読で、「ロンドンまで続く・・」という文章で「ロ・・」「ロ・・」と何度もつまずき、それから「ロンドン」とあだ名が付いてしまったことです。クラスの4〜5人の男子にいつもそのことでからかわれて、よく喧嘩をしていました。今となっては笑って話せることですが。吃音の事でよく喧嘩をしていた連中とは、今では10年来の親友です。何でこんなに長年つるんでいるのかと考えると、体でぶつかり合ったからこそだと最近思っています。何でも体当たりで行くことが大切なようですね。
今回、例会に初めて参加して強く感じた事があります。それは、吃音を治すために参加するよりもむしろ、自分から話し合いの場を持つために参加するということが大切なのだと。自分は、他人と話すことで自分を見つめ直す機会は今まであまりなかったのではと思います。吃音からなるべく目を背けようとしていた私にとって、今回のアクションは大きなターニングポイントになりそうです。これからは吃ることに臆することなく、自分から前に出て行く勇気を言友会を通して身につけていきたいと思っています。「体当たりで行こう!」が、今年のモットーになりそうです。
これからお世話になります。皆様、改めてよろしくお願いいたします。

09/12 12:44
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うめキング
遥かなる闘いの果てに
豊橋在住。30歳独身男。身長180cm、体重80kg。趣味はゴルフ、ボーリング、水泳、映画鑑賞。この8年間風邪で会社を休んだ事も無い・・・。自分という人間を形容すると、ざっとこんな感じである。しかし、私が幼い頃、病弱で入退院を繰り返し、ひどいいじめに遭っていた事を、知る者はほとんど居ない。まして今の自分の外見からそれを想像するのは難しいかもしれない。
 物心付いた時から喘息を患い、昼夜無く病院へ運ばれ、小学生の間に6回の入院、5年生の時には発作が収まらず、1ヶ月近く点滴を外せなかった時もあった。吃音を意識し始めたのもその頃ではなかったか。国語の朗読の時間に吃り、格好のいじめの材料にされた。運動会の徒競走で派手に転び、それだけで腕の骨が折れ、病院へ運ばれ、看護婦さんに「名前は?」と聞かれ、詰まって声が出せなかったのが昨日の事のように思い出される。
 中学に入ると、いじめは益々エスカレートし、アトピーで肌が赤くただれ、血が滲んでいるのを、女生徒から汚いものを見るような目で見られたのは非常に辛かった。まるでいじめられに学校に通っているようなもので、強い劣等感と人間不信に陥ってしまった。
 そんな環境が、高校入学と共に激変した。クラス内でのいじめは無く、みんな大学入試という共通の目標に向かって頑張っていた。私は、水を得た魚の様に明るく振舞い、それはやがてクラスの皆から好かれたい、人気者になりたいと言う願望に変わっていった。その結果3年間で、学級委員を3度も任される事になる。
 友人も多く、身体も段々丈夫になり、何もかもが順風満帆に思える時も有ったが、吃音だけはそれを許してはくれなかった。友人と話す時は何とかごまかす事が出来たが、先生や厳しかった父親の前に出ると声が詰まってしまい、言いたい事の半分も伝えられなかった。女生徒には、こちらから話し掛ける事は殆ど出来ず、話し掛けられても、相手の顔を見て話す事もままならなかった。
 大学に入り、一人暮らしを始めると、緊張感無く過ごす事が多くなり、吃音を忘れられる事が多くなったが、女性に対するコンプレックスは変わらず、いつしか少年時代に自分の置かれていた環境を恨めしく思う事になる。あの忌々しい経験さえなければ、吃音も無く、もっと幸せに過ごせた筈なのに。と、生まれ育った町まで憎く感じられ、過去を閉ざして生きていく事になる。
 社会人になると緊張の連続で、今まで避けてきた電話の応対からも逃げられなくなり、嫌でも吃音と向かい合わないといけなくなった。その一方で、週末になると繁華街に出かけ、酒を飲んで舌を滑らかにし、女性を口説き、モノにする事を知る。相手を好きかどうかは問題ではなく、そうする事で自分を虐げてきた者たちを、見返したような妙な満足感を得るのである。
 そんな折、友人の紹介で、一人の女性と付き合う事になる。とても明るく、誰とでもすぐに仲良くなれる彼女は、一方で辛い過去を背負っていて、それを包み隠さず話してくれた。そしてある日、彼女は、「私は何もかも打ち明けたのに、あなたは何も話してはくれない!」と、食って掛かった。私は観念して、吃音やいじめで辛かった過去を全て話した。気付くと私の頬から涙が溢れていた。彼女は「そんな事が有ったなんて知らなかった。今は全然普通だよ。」と言って、優しく涙をぬぐってくれた。
 その時思った。今までの私は、皆から好かれたい、愛されたいと求めてばかりだった。“愛とは与えても与えても減らない唯一の財産”だと言います。これからは少しでも与えられる人間になりたい。そして自分から目を背けずに、見つめ直してみよう。大事な事は忘れる事ではなく、許す事ではないか。
 今、言友会を知り、すばらしい仲間と知り合う事が出来た。闘いは終わり、自分探しの旅は、まだ始まったばかりだ。

 つたない文章を最後まで読んで下さって有難う御座いました。辛い作業でしたが、出来る限り正直に書いたつもりです。最後のお願いとして、下記アドレス宛に一言で良いので感想を書いていただけると幸いです。
umezou0523@yahoo.co.jp
09/12 12:41
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匿名
本当の自分
いつ頃から吃音になったのか記憶にありませんが、52年の歳月が過ぎました。これから自分の生きるすべを探している時にインターネットで言友会を知りました。昨年12月15日の豊橋例会に初めて参加させていただき、何人かのお話しを聞き、自分以外にも苦しんでいた人がいる。これまで自分の世界だけに存在する苦難だと思っていました。  この人達も自分と同じような苦難を味わったのだろうか、そして、「吃音」を自分の中に  再確認させられました。
小山会長さんから原稿の依頼を受け色々なことを文にしましたが、どれも抽象的で自分でも納得出来ず、自問自答を繰り返す日々が続き煮詰まりました。52年生きてきた中で自分の存在が分らない。吃音である事で何事においても逃げていたと思う。理想を掲げては現実の厳しさに戻され、理想と現実の狭間での葛藤が現在まで続いている。これまでの葛藤の中で「吃音」に対して治そうとする努力を行ってきたのか、恥も外聞も自分の中に閉じ込めてガマンしていただけである。そのガマンが限界に達した時に、ささいな事でも爆発する。この事の繰り返しで、「吃音」を少しでも和らげる努力を行った事が無い。いいかげんな所がある。自問自答の中で他人から見た自分を見つめると、特徴がつかめない。突然爆発するし、言っている事が分らない。これといった特技も無い。これといった業績も無い。ただ漠然と名前だけが存在する。人が認めてくれないと自分では現在まで思っていたが、実際にはそうではなかった。「吃音」で話す事の努力もしないで、他人のせいにしていた自分を人は認めてはいない。そう考えると自分の存在を明らかにする為の何らかの葛藤をしなければ、人は認めてくれないだろう。
 又、自問自答の中で「本当の自分て何だろう?」と自分に問い掛けてみる。本当の自分を分って欲しいと幼い頃から願っていた。正直に言えない心、この事が自分を偽って棚の上に上げてしまったのです。仮面をかぶって自分を見せない、又他人を分ろうとしない自分本意の考えで行動してしまう。この行動の中に他人が傷付いている事すら分らない。 “吃音者”は他人からの言動、行為に傷付き悩みます。言友会の文集の中にも苦闘した激しい内容の文章があり、読んでいて涙が出ます。これほどに苦しんでいる人達がいる事を知らされました。自分はこれまで自分の傷だけを苦しんでいたのではと思いました。周り人はどうだったのか考えてみました。親、兄弟、学校、会社、家族など、これまでに人と関わってきた中で自分の言動、行為で傷付けた事が有るのではないだろうか。仮面を外して、もう一度、言動、行為を見直す事が必要であると思い、新たに考えてみたいと思っています。
この文章を書くにあたり、自問自答した事を言友会、又会長にお詫びと感謝したいと思います。この会に入会しなかったら、自分の世界だけの苦悩と考えて過ぎた事でしょう。自問自答する事すらしなかったでしょう。この様な機会を与えて下さった事に感謝します。又活動している会員の皆様の行動力には感服しています。「無償の愛」という言葉がありますが、例会に参加させて頂いた時にはそれ程感じなかったのですが、この文を書くにつれて自問自答する度に煮詰まりました。頭に浮んだ事が「無償の愛」でした。自分に出来るのだろうか。この事で悩みました。これを解決してくれたのは少女の笑顔でした。あるスーパーで少女(障害をかかえる)の一人遊びの笑顔が男(親)の出現で顔、身体が急変し笑顔が消えてしまった。少女の笑顔が脳裏から離れません。自分にもこの笑顔が欲しい。そして子ども達の笑顔が見たい。言友会の皆さんの笑顔が見たいです。会員の皆さん宜しくお願いします。そして無償の愛を教えて下さい。
09/12 12:38
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匿名
就職活動で感じたこと
 「こっ、こっ、これから帰りの会を始めます・・・。」その時、クラスの皆は大笑いだった。私が初めて自分の吃音に気づいたのは小学校5年のその時である。
 小学校ではよく朝の会、帰りの会というものがある。私はその日、日直で帰りの会の司会をしていた。私が吃った後、皆が大笑いしたことはとても恥ずかしい事だった。しかしそれよりも辛かったのは、その後に先生が皆を叱ったことだった。先生が「なぜそんなことで笑うのか」と皆に言っている間、私は席に座り、下を向いて黙っていた。今思い返すと、とても強烈な印象と共に頭に浮かんでくる出来事である。幼い頃の私がなぜそのように感じたのか、今ではよく分からない。しかしその出来事以来、私は自分の吃音を強く意識するようになったのである。特に、本読みや電話といった、緊張する場面ではなかなか声が出てこなくなったことを覚えている。
 それからの生活は吃音と付き合うことになった。学生であるため自分がうまく話せないことは嫌だったが、私の中で特に大きな問題とはならなかった。自分の中だけで考え、  どうやったら治るのだろう? 何が問題なのだろう?と、いつも思っていた。自分で本や インターネットで調べて改善策を試してみたが、どれも長続きせずうまくいかなかった。
 私は就職活動を始めるにあたり、面接と電話の対応について不安を抱き、言友会の門を叩いた。私の吃音は、ある特定の単語、言い換えの効かない固有名詞が苦手というものだ。面接や電話では初めに大学名と自分の名前を言うが、それが言えないのだ。大学名と自分の名前が言えない人は普通いない。当たり前の事が言えないのは、自分の中でかなりマイナスイメージであった。「何だ、この人?」と思われたらどうしよう、それだけは何とかしたい、と思えば思うほど、どうしようもなくなってしまうのだった。
 私は言友会に入って同じ吃音で悩む人々に会うことで、本当の意味で自分を受け入れることができるようになったような気がする。面接の前に自分に言い聞かせたことは、「吃ってもいいから、大きな声でゆっくり話すことだ」ということだった。面接の中身はそれまでの自分をありのままに話せば良いだけであるから、吃音とは関係ないということを言い聞かせた。その甲斐あってか、めでたくある会社から内定をいただくことができた。
 今まで私は自分の吃音を誰にもばれないようにしたい、また、吃ったとしてもできるだけ恥ずかしい思いをしたくないと思っていた。しかし、それではダメだと思い始めた。  自分から一歩を踏み出さなければ何も変わらない。そして大切なのはありのままの自分を受け入れること。私は自分の吃音を隠すのではなく自らオープンにしていく事で、吃音が少しでも良くなるのではないかと考えている。

09/12 12:30
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匿名
私の吃音雑感
言友会のことは、今年の5月にインタ−ネットで初めて知りました。機関紙の「やろまいか」や「吃音者宣言」などを読んで、早速、入会をすることに決めました。例会には、入会早々に名古屋と豊橋に参加させていただきました。例会の初めはやや緊張気味でしたが、とても気が楽でした。共通の悩みというか吃音を持つ者同志の集まりだったからでしょうか。入会するや機関紙に載せる原稿の投稿を依頼されて、元来、筆不精の私にとってはこちらの方が緊張しましたが、折角の機会ですので、自分なりの吃音雑感というものを書いてみました。
 私は今年で54歳になります。私が記憶している中で初めて「吃音」ということを知ったのは、幼稚園の入園式でした。母が受付で「この子はどもります。」と言ったことを今でも鮮明に覚えております。その時は幼過ぎて「どもり」ってどういう意味か理解できなかったのですが、どことなく普通の子とは違っているなぁという感じを持ちました。やがて、小学生、中学生となり、時々、周りから吃音をからかわれたりしましたが、さほど惨めな記憶はありませんでした。それは、中学生までは周りは幼馴染ばかりで、よく知っている友達と遊んでいたからでしょうか。ただ、内面は時々、痛いほど傷ついていたような気がしました。自分は「何故、どもるのか?」と一人で悩んだこともありました。そして、高校生、大学生となるにつれて自我の確立とともに、「人前」を気にし出し、「どもる」たびに「どもる」ことを恐れました。そして、社会人となり今日に至っています。その間に、私の周辺にも吃音の人がいましたが、お互いにこの「どもること」について話をするということもありませんでした。私自身についても、結婚する前に妻に自分が吃音者であることを話しましたが、ただそれだけのことでした。普通の「悩み」ならばもっと詳しく話せるでしょうが、自分の中で「劣等感」として思っていることについては、なかなか話せないものです。今の私は、相も変わらずどもっており、自分の悩みの種は依然として「どもること」には間違いはないのですが、歳を重ねたせいか以前ほどの深刻さはなくなりました。確かに、若い頃は、これと正面から闘い、克服してやろうとしましたが、結局は負けてしまいました。というよりも、相手の強さを知らなかったということでしょうか。考えてみれば、私の中で何年も「同居」しているのだから当然の結果でした。いつの頃から「どもる自分」を認めている自分に気づきました。また、永遠に払拭されない悩みならば、これを受け入れて、共存していく方が楽ではないのかというふうに考え方を変えました。吃音を深刻に考えないようにし、どもってもそれはそれでよしとすることにしてきました。また、それと平行して自分の吃音についても自分なりに考えてみることもしています。例えば、どもり易い言葉は何かとか。どんなどもり方をしたか。どもり易い言葉をどもらずに話せた場合はどんな時であったとか。今日はどもらなかったとか等です。こんなふうにして、毎日を吃音と付き合って暮らしていると、吃音も案外、人生に非吃音者と違った楽しみを我々吃音者に与えてくれるものではないでしょうか。また、言友会を通して、多くの人と知り合える可能性も楽しみの一つでしょうか。今後ともよろしくお願いします。

09/12 12:29
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匿名
内なる自分にもがいて
僕は人前に出るとあがってしまいます。当然、こうしてみなさんの前に出ているので現在も緊張しております。でも、これはいわゆる吃音とは違います。程度の差はあれ、誰でも緊張するものです。ですから、このことはとりわけ問題にならないと思います。
一方、問題になるのは吃音の方です。自分が現在、吃音だと認識するのは、会社等で挨拶する時など、第一声が出にくいことです。人から挨拶されればそれにはすんなりと挨拶を返すことができますが、自分から言うのに初めの単語が発声しづらいのです。挨拶をしないとマナーが良くないと考えてしまい、毎朝、今日は挨拶ができるかと考えてしまい、神経を遣ってしまいます。また、機械の大きな音がするところ、賑やかな店内などなど、騒がしい場所では声を出しにくいのです。 大きな声を出そうとすると吃ってしまいます。そのため、大勢がいる場所に行くのが嫌いになり、一般の人たちが普通は楽しみにするはずの飲み会・宴会等が逆に不安の種になっています。いわゆる普通に喋ることができる人にとっては何でもない日常の言葉のやりとりに、いちいち神経を遣っています。また、  このような症状がない、いわゆる普通の人を羨ましく思ったりします。このようなことに苦しんでいるなんて、会社中、誰も知らないはずです。
こんな自分はいつから始まったのでしょうか? 振り返ってみようと思います。物覚えある頃から自分はいわゆる大人しく、口数の少ない性格でしたが、小学生の時までは吃音の症状は全くありませんでした。しかし、中学校に上がって転機がありました。順番に回ってくる「朝の会」の司会をした時に、クラスメートが自分の声が変だと指摘しました。これを機に自分の声が変ではないかと不安になり、人前で話すことに自信がなくなっていきました。そのようなことで、だんだん人前で話すことができなくなっていきました。  失敗すると、それがまた不安の材料になり、ますます悪い方へ進んでいく悪循環に陥っていきました。吃音にとらわれているため、順番に回ってくる「朝の会」の司会を担当することになる日数を指折り数え、国語の時間の朗読を心配し、指名されることにびくびくしながらの毎日でした。人によってはどうでもよいこと、しかし、自分には重大なこの吃音というものに気をとられていた当時の自分。ますます自分が嫌いになっていました。自分に対して否定的な感覚を強く持つようになりました。一般にいう「普通の人」たちは全く気にしないことに気をもんで疲れてしまっている自分がいる。なぜこんなことに苦労しなければならないのだろうか? このことに振り回されて生きてきました。しかし、そんなこんなで生活しているうちにある程度は慣れてしまったためでしょうか。以前ほどの吃音の症状はなく、また、気にならなくなってはいましたが、やはり吃音に悩んでいる自分がいます。
そのような中で、言友会と出会いました。言友会ではそれぞれ状況は違うものの、吃音という同じ悩みを話すことができます。今まで自分の中だけで溺れていたことを話すことができ、気持ちが楽になりました。今まで自分の中だけで格闘してきたものに対してみんなで共有できるからです。同じように吃音で悩んでいる仲間たちがいる言友会だからできたのです。また、言友会はお互いの傷の舐めあいの場でもありません。もちろんそうなってもいけません。吃音でも前向きに物事に取り組んでいこうとするものです。ここに来る前の自分。吃音を自分の中だけの言い訳にして、自分という殻に閉じこもっていただけではないかと思うのです。 できなければ人の数倍努力する。そんな事も言友会で学びました。
溺れてもがいていた自分も、言友会という「浮き輪」をつかまえました。これからも高波にのまれそうになることもあるでしょう。しかし、あらゆることに対して前向きに取り組んでいくことを皆さんの前でここに宣言したいと思います。自己否定していても変わらないですからね。ありがとうございました。

(2004年11月21日「豊橋・吃音者のつどい」の体験談発表より)

09/12 12:27
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